オレ達バブル世代は、企業戦士として戦ってきたから
24時間会社の要求にこたえるのがオレの存在意義だと
疑いもしなかった。
だから・・・
定年後「やりたいこと」なんて、考えもしなかった。
定年後やりたいこと
どうすれば、やりたいことがわかるんだ!!
「自分がやりたいこと」にこだわる理由
「痛み」と「快楽」があるから、
定年起業のステージに足を踏み出すマインドになります。
定年起業のステージに足を踏み出すマインドになった後は・・・、
「やりたいこと」を見つけることが、必要です。
絶対に!!
その理由は?
起業する際に、必ず困難に直面します。
その時に、「やりたいこと」であれば、
困難を前にしても、頑張れる、我慢できます。
でも、
「やりたいこと」でなければ、
自分のやりたいことじゃないから、
困難に直面すると、
なにかと理由をつけて、困難を乗り越えることが
できにくくなってきます。
勉強に似てませんか?
得意科目であれば、取り組むときから、前向きで
ある意味少し楽しみな時間で、少々難問でも、
なんとか出来るようになろうと、思えますよね。
だけど、不得意科目だと、少しつまづいただけで、
まったくやる気も出なくなって、結局やらなかった・・・。
私はそんな記憶ばかりですが。
不得意科目を嫌々ることの、辛いのなんのって。
やっぱり、やりたいことでないと、
辛くなってくることが多いと思います。
特に困難を前にすると、逃げたくなりませんか?
私は、逃げたくなります。
間違いなく!!
だからこそ、
「自分のやりたいこと」をやって、目の前の困難を
乗り越えられるようにしませんか。
「自分のやりたいこと」にこだわる事
これが定年起業で成功するための必須条件になります。
定年起業で成功するということは、
副業で稼ぐこととは明確に違います。
定年起業は、起業した本業で1,000万円稼ぐことを目指すことです。
「自分がやりたいこと」とは何か?
「自分がやりたいこと」なんか、考えたことがないのに、
突然言われても、困るんだけど・・・。
困りますよね。
だけど、「自分がやりたいこと」は、
自分で発見する方法があります。
私のクライアントには、やってもらっています。
それは何かと言うと、
「自分史の振り返り」をやってもらいます。
幼少期から社会人の現在まで、
そして、親、兄弟、祖父母等の家族についても
かなり、細かく突っ込んで振り返ってもらいます。
思い出すのに時間がかかったり、
両親に確認したりと時間がかかりますが、
現在の忙しく過ぎてゆく毎日の中で、
自分の中で、日頃意識もしていなかった、
本当はやりたかったのに、
意識の奥底に封印していた、
本当にやりたいことが隠れていることが
多くあります。
それは、
今までの、社会人としてのスキルだけでなく、
幼少期にやっていた、音楽やスポーツ等の
習い事などまですべてのことを
思い出してもらいます。
本当は、子供の頃から
この音楽やスポーツに関わりたいと思っていたが、
親に反対されたから、
その後、完全に封印してしまっていて、
まったく、意識から消えてしまっていたという、
方もいます。
今回、「自分史の振り返り」という、
自分の意識の外にあって、
全く気が付かなかった意識が
浮かびあがってきます。
子供の時、こう思ってたなー、
親がいい顔しなかったしなー、
兄弟と比較されて嫌だったけど、
本当はやりたかったなー。
思い出してみると、
この歳でいろいろな発見があるんです。
「自分史の振り返り」を
行うことによってわかるのですが、
幼少期からの親や兄弟、親族との関係が
大きく影響していることが
その後に著しく影響していることがあります。
この家族との関係がメンタルブロックと
なって前に進めないということが、
わかったりしています。
その時は、メンタルブロックの原因に
なっている人と話をすることを
お勧めしています。
この行為は、とても苦しいんです。
ものすごく葛藤して、時間がかかって、
でも、できないと何度も、あきらめて・・・
でも、会って話してみると・・・・
わだかまりが解けたことによって、
ものすごく展望が開けることがよくあります。
人生の折り返し地点で・・・
定年近くなって、
人生の折り返し地点で、
今までの
人生の棚卸
をやってみるのも
いいと思いませんか?
子供の頃の純粋に過ごした日々、
学生の時の楽しさや、挫折、
親や兄弟、妻や友達・・・
いろんな人を思い出してもらいます。
この人生の棚卸が、記憶の奥底に堆積していた記憶を
掘り起こしてくれるんです。
いいことも、わるいことも。
人生の在庫一掃セールをやってみませんか?
そして、自分がやりたいことに
気付いてみませんか?
「自分のやりたいこと」は、自分の中だけにあります。
自分の中だけにある、「自分のやりたいこと」を、
見つけられると、定年起業の1歩を踏み出すことになります。
私と一緒に1歩を踏み出しませんか?